半世紀も前の機関車の塗色の話です。
私の親が中央線沿線に土地を買って家を建てることになり、私が小学校に入学したころから、毎週末、家族で候補の土地を見に行くようになり、頻繁に中央線に乗るようになりました。
当時、品川区に住んでいた私にとっては、山手貨物線や品鶴線で見慣れたEF10、EF12、EF13、EF15、EF60、EH10以外の電気機関車を中央線に乗るたびに見ることができることが、大きな楽しみでした。
当時、中央線の客車列車はEF13が牽引していました。貨物用機関車が客車列車を牽引する姿は、ある意味で新鮮でした。
貨物列車もEF13が多かったですが、ED17、EF11、ED60、ED61など、首都圏の他線区では見ることのできない釜を見ることができ ました。当時、EF10も中央線で活躍していたはずですが、何故か中央線では見た記憶が残っていません。特に私のお気に入りは全4両の小世帯のEF11でした。
私のいにしえの記憶では、当時見たED61と一度だけ見たことのあるED60のこの時代の塗色は「茶色」でも、新型直流電機の標準色である「青に前面窓下クリームの警戒色」でもなく、黒に近いグレー一色でした。
EH10のような黒光りするような真っ黒ではなく、所謂、チャコールグレーでした。因みに、当時、私が持っていた交通図鑑にもED61はチャコールグレーで描かれていました。

その後、私は中央線の沿線に住むようになりましたが、ED61が新型直流電機の標準色になったのは、私が中学に入ってからです。それまでは、このチャコールグレーの塗色でした。
ED60、ED61は落成直後には茶色だった筈ですが、私は茶色時代のED60、ED61を見たことがなく、ワールド工芸のNゲージの ED61の茶色塗装を模型店のショーウィンドウで初めて見たとき、大層、違和感が有ったのを憶えています。
今、鉄道雑誌の車両解説などでも、このED60、ED61のこのカラーについては全く触れられることがありません。雑誌編集者やファンの頭の中から、この塗色の時期があったことが忘れ去られているのかもしれません。
しかし、私にとってED60、ED61といえば、 真っ先に浮かぶのは、小学生時代に見たこのチャコールグレーの塗色です。
1960年代以前のカラー写真は、もはや殆ど残っていないのかもしれませんが、是非、このチャコールグレー塗色時代のED60、ED61のカラー写真を見てみたいです。そして、半世紀前を懐かしんでみたいと思う、 今日この頃です。

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この記事へのコメント
suzuran6
電気機関車の走っていなかった(定鉄にはいたようですが)道産子なもので・・・
当然見た事も無いんです。
気になります。
芝浦鉄親父
東京生まれの東京育ちだった私は、蒸気機関車が本線運用していたのを見たことは、たまの旅行の時くらいで、数少ないです。蒸気機関車の記憶は極めて希薄です。
したがって、機関車=電気機関車が私の頭に刷り込まれています。
定山渓のED500、その後、長野電鉄から越後交通と転々としましたが、是非一度、見てみたかったです。